「福は内、鬼も内」って節分のかけ声は開運の秘密を明かしていた

いいことは起きないかなと、来る日も来る日も待つ人たちって意外と周囲に多いのではないでしょうか。中学生の頃、田舎でまだ出回り始めた自動販売機の下を手探りして歩く友人を思い出しました。彼によれば頻繁に釣り銭が入り込んだままになっているそうです。

つられて私も何度かやってみたのですが、下手なのか空振りで、何も成果が得られず、すぐにやらなくなったのですが、彼と私の間にあった考え方の違いに気づきました。

良い出来事はとてもうれしいですよね。だれでもそうです。残念なのは周囲の人の方が自分より圧倒的に良いことに恵まれているように見えることです。幼い頃の友人がいつも小銭をズボンのポケットに入っていたのは、彼に余分な幸運があったからのように感じてしまうのです。

幸運は欲しいけど、反対に面倒だったり、困難だったり、悲しんだりしたくありません。幸運を増やして不運を少なくしたいと願うものです。つまり幸運を増やす、不運を遠ざけるは別のことのように思われているようです。

でも悪い結果をもたらすのが不運だとしても、不運の反対が幸運ではありません。不運とは文字通り「運ばず」で何も運んでいない状態です。つまり悪い結果を運んでくるのは「悪運」ですね。

さてなんとか悪運を避けたい。しかし訪問してくる運が来る前に悪運なのか幸運なのかを判じるのは無理です。判じるためにはもうその運と向き合わなければならないからです。

では優先して悪運を避けるためには、何にも関わらなければよいという理屈が成立します。ドアのチャイムにまったく応答しないという作戦ですね。それならば、確かに悪い結果が外から来ないかも知れませんが、悪い結果は自分自身から生じるでしょう。不運なのですから。

いいことだけが来ないかなと待つのは空しい望みです。雑踏にいる人たちのすべてが特定のショップで買い物をすると期待するようなものでしょう。確かに行列なら同じ買い物をする人たちばかりかも知れませんが、中には何の行列かすら知らずに並んでいる場合もあるようです。

気分が悪くなる出来事を避けたい人は引きこもってしまうのですが、それは悪運を避けているのではなく、自らを不運にしている状態です。ではどうすれば良いでしょうか。どのように解決すればよいのでしょうか。それが開運の説明していることです。

買う人だけが入店できるとしましょう。でも店の外の人には、自分にとって必要なものを売っているかを判断できません。結果として入店していない人は、自分でも買うか判断できないのがほとんどになってしまいますので、そこに入店できる人はいなくなります。

お客が実際に商品を見るまで、買ってくれるかを判断できないということは、つまり役立つモノも役立たずもやってくるという運も同じ性質です。買ってくれる客だけがやってくる店が必ずしも幸運な店だとは言えません。

不運とは人の出入りがない商店と同じ状態です。買ってくれる客ばかりではなく、そうではない客すらやってこない店なら店舗の維持すら困難になってしまいます。人が寄りつかないならもはや、工夫の余地がないからです。

自分という商品を扱う店舗の門を開くことが開運することだとおわかり頂けたでしょうか。出会って高く評価してくれる人ばかりではなく、低い評価をする人もいるに違いありません。しかし、不運とは出会いそのものを拒否することです。

確かに、好ましくない事態が生じるケースを避けられないのが開運です。ですから、そのような望まない事態に対処できる準備が必要になってきます。悪運に備えてから開運するのであり、お店の準備を済ませてから開店するのと同じですね。