不運な人生は歩みたくない!だからこそ知っておきたい知的開運術

私の周囲にも大した苦労もなく成功しているように見える人がいます。十分な学歴を得て、思い通りの就職・昇進を果たし、家庭を得て円満で順調なライフコースを歩んでいる友人を見るとうらやましくも思います。

一方、中国の友人に指摘されたのは、何も努力せずに、いい思いだけできるのが最高だそうです。努力したのなら報われるのが当然という次第。しかし、私はそれ以外のことを疑問に思います。

才能が開花せずに人生を終えてしまう人が多いという悲劇があるのではないでしょうか。努力が十分に報われず、苦悩の中を歩まなければならない人たち。彼らは幸福とは縁遠いように思えます。

身近な人にも能力を生かすことができない人が少なくないという推定は決して的外れではないでしょう。彼らは努力しなかった怠惰な人たちだと、断じるのは不当です。

限界まで努力を積み重ねて身体を壊してしまう人がいます。彼らに努力が足りなかったと非難できる人がいると思えません。どんな人も自分にできる限りの努力を積み重ねているのではないでしょうか。

それでも活躍できないのは、実は「不運」のせいだと考えられます。ここでいう不運とは「悪運」のように突然の大問題を生じさせるものではなく、成功を失敗に導くすべての要因を指します。

孔子も幸運に恵まれなかったと論語に語られています。孔子は当時の世界で最も優れた人物だとされていますが、それでもフリータに近い存在でしたので、弟子の一人からその理由を尋ねられました。

努力が報われるのが幸運だとすれば、孔子は不幸な人だったといえます。努力をしても報われる保証がないとすれば、誰が孔子のようにストイックな人生を歩めるのでしょうか。そのような人生を模範として生きるべきでしょうか。

とにかく努力せよでは運は好転しません。努力は運に対して働きかけるものではないからです。努力をしながらも運に対して無関心ではいけないのだと考えます。それは無意味な努力です。

無意味な努力と「お呪い」(おまじない)は同じではありません。加持祈祷などのお呪いがすべて無意味とは言えません。なぜなら、無意味な努力に意味を与えるお呪いだからです。

例えば加持祈祷は環境を整えることを目指す所作ですし、お呪いは自分の努力が役に立つようにと意識に働きかける手続きのひとつだからです。ただしすべてのお呪いが同様に効果を発揮するとは限らないことでしょう。無意味なお呪いは少なくありません。

だからこそ、知的な開運術がおすすめなのです。知的であるとはつまり根拠を求めることです。言い替えると、加持祈祷であっても根拠があれば、無意味ではないといえます。できれば根拠があるものを見分ける意識が大切なのです。

気を付けなければならないのは、科学的な根拠だけが根拠ではないという点でしょう。理論的に合理的に説明できることだけを根拠だと考えてしまうと世界の半分以上は成立しなくなってしまうでしょう。実証性も確かな根拠を提供します。実証性はそのような事実があったことを意味しますから、再現性も期待できます。

再現性があるからこそ、自分にも効果があるだろうと考えられるのですから、これが最も大切な根拠になるのです。理論的科学的であっても再現性が乏しければ、役に立つことはありません。

最新の認知科学などの先端科学の多くは理論的な説明を尽くせておらず、実証性・再現性を中心に展開されつつあるのが事実です。同じように科学的・合理的な開運術はなくても、実証性のある開運術はあります。このブログで紹介していくのは、この実証性があるもの、複数の実験参加者によって確認されたものを中心にご紹介していく予定です。